気仙沼と働く vol.5 負を正にする、いのちのバトン
2022.03.14
#暮らし・社会・環境
以前訪問した気仙沼魚市場内
2月も終わりが近づき、少しずつ春の気配を感じるようになりました。私がいるところでは時折山から雪を乗せた風が吹いてくることがあります。ここで暮らして知ることになった、食べ物の背景。思えば気仙沼で働いていた時もたくさん目にしてきた風景を、今もう一度思い起こしてみたいと思います。
猪の肉
私が暮らす佐那河内村には、スーパーがありません。野菜は新鮮なものが身近で調達できますが、肉類を手に入れるには市街地まで車を走らせることになります。いわゆる”お肉”はありませんが、地域の山々には猪や鹿がたくさん行き交っていおり、獣害として駆除された猪や鹿の肉を買わずともおすそわけいただくことがあります。
ある日、地元の猟師さんが猪の肉を捌いている現場に立ち会いました。と言っても、すでに大体の処理がされていて、食肉として部位を分けている段階でした。「ここはロース」「ここは肩肉」など色々説明をしながら見事に捌いています。みるからに新鮮で色鮮やか、嫌な匂いもほとんどしません。 「やはり鮮度が大切なんですか?」私がと尋ねると 「確かに早くさばくことは大切だけど、今日は食べてはいけない」と猟師さんが返しました。 「どういうことですか?」 「まだ負の気があるからだ。」と。 考えもしなかった、印象的な言葉でした。動物として生きていたところ、人間の都合で駆除された猪にどんな想念が漂うか、想像に難くないでしょう。負の気が落ち着くまで2〜3日はそのままにして食べないそうです。生き物の命と対峙する猟師の姿勢やこの土地の文化に、いのちをいただくことへの慎ましさを感じました。
ある日、地元の猟師さんが猪の肉を捌いている現場に立ち会いました。と言っても、すでに大体の処理がされていて、食肉として部位を分けている段階でした。「ここはロース」「ここは肩肉」など色々説明をしながら見事に捌いています。みるからに新鮮で色鮮やか、嫌な匂いもほとんどしません。 「やはり鮮度が大切なんですか?」私がと尋ねると 「確かに早くさばくことは大切だけど、今日は食べてはいけない」と猟師さんが返しました。 「どういうことですか?」 「まだ負の気があるからだ。」と。 考えもしなかった、印象的な言葉でした。動物として生きていたところ、人間の都合で駆除された猪にどんな想念が漂うか、想像に難くないでしょう。負の気が落ち着くまで2〜3日はそのままにして食べないそうです。生き物の命と対峙する猟師の姿勢やこの土地の文化に、いのちをいただくことへの慎ましさを感じました。
サメの肉
初めて気仙沼の魚市場へ行った時のこと。秋刀魚やカツオの漁獲量を誇る気仙沼港は、さまざまな魚が水揚げされています。この日も市場内は活気ある空気で満ちていましたが、一箇所だけ、少し異様な雰囲気を感じる場所がありました。大きな魚体がそのまま山積みになっていたのです。さて、何の魚だろうと聞くと、それは「サメ」でした。初めて見る、本物のサメ。怖い魚のイメージがあったので、まさか食べられるとは思わなかったからです。
地元の方に聞いたところ、サメはマグロなどの延縄漁の際に副産物的に獲れるとのこと。水揚げされたサメは部位ごとに処理され、例えばヒレは高級食材のフカヒレになります。他の部位は廃棄していたこともあるそうですが、近年は地元の学生や心ある方々が、いただいた命を無駄なくいかそうと、サメの魚肉を使って商品化につなげた事例もあります。後で知りましたが、例えばおでんの「はんぺん」は、元々はサメ肉で作っていたそうですね。
地元の方に聞いたところ、サメはマグロなどの延縄漁の際に副産物的に獲れるとのこと。水揚げされたサメは部位ごとに処理され、例えばヒレは高級食材のフカヒレになります。他の部位は廃棄していたこともあるそうですが、近年は地元の学生や心ある方々が、いただいた命を無駄なくいかそうと、サメの魚肉を使って商品化につなげた事例もあります。後で知りましたが、例えばおでんの「はんぺん」は、元々はサメ肉で作っていたそうですね。
サメ肉を使ったつみれ汁
気仙沼の塩
気仙沼市・岩井崎の塩は、今やさまざまなレストラン等で使われる味わい深い塩。実は、300年以上の歴史がありました。さまざまな理由で幾度か途絶えた時期もあるようですが、この土地の伝統文化である塩作りを何とか復活させようと、独自に調査・研究を重ねて来られた方がいます。検索すればすぐに情報が手に入る時代ではなかったわけで、途方もない作業だったと思います。功労が実り、遂に岩井崎の塩は再興することとなりましたが、この方は東日本大震災により帰らぬ人となりました。同時に、塩作りはまた途絶えることとなったのです。震災後数年を経た今、遺志を継いだ方々が見事に製塩を復活させ、改めて塩作りを続けていらっしゃいます。
多くを消し去った災害と正面から向き合ってきた人々。気仙沼でこのような人々に出会うたびに、何の変哲もない日々を過ごしていた当時の私は自分が恥ずかしいような、申し訳ないような気持ちでいっぱいでした。
何か、この土地の方々と自分が重なる部分があるとすれば、災害によって引き起こされた現象的な負の出来事、そして内面的な負の感情によって私たちは奮い立ち、人間として何ために生きるか考えることになった、ということです。
私も岩井崎の塩作りの現場を訪問しましたが、岩井崎は岩が切り立ち、どことなく凛々しさがあるというか、勇敢な魂が集うような風が流れていたのを覚えています。
多くを消し去った災害と正面から向き合ってきた人々。気仙沼でこのような人々に出会うたびに、何の変哲もない日々を過ごしていた当時の私は自分が恥ずかしいような、申し訳ないような気持ちでいっぱいでした。
何か、この土地の方々と自分が重なる部分があるとすれば、災害によって引き起こされた現象的な負の出来事、そして内面的な負の感情によって私たちは奮い立ち、人間として何ために生きるか考えることになった、ということです。
私も岩井崎の塩作りの現場を訪問しましたが、岩井崎は岩が切り立ち、どことなく凛々しさがあるというか、勇敢な魂が集うような風が流れていたのを覚えています。
いのちのバトン
気仙沼の岩井崎
忙しくも便利な暮らしをしている私たちは、スーパーなどで清潔にパッキングされた食品を手に取りながら「どれが美味しそうか」「どれが安いか」といったことばかりを重視して食生活を営んでいるでしょう。
しかしながら、私たちの食べ物は、さっきまで生きていた命そのもの。私も含めて、たいていの人は頭では理解しています。
人間として食べて生きていくということは、食物連鎖のサイクルの中に生きるということです。つまり、他の命の終わりがあってこそ、私たちが生かされている。私たちは毎日、いのちのバトンを受け取っているのです。
受け取ったバトンを握りしめて、どうするかが問われています。繋がれてきたいのちの営みに今一度深い感謝を添えて、3月を迎えたいと思います。
しかしながら、私たちの食べ物は、さっきまで生きていた命そのもの。私も含めて、たいていの人は頭では理解しています。
人間として食べて生きていくということは、食物連鎖のサイクルの中に生きるということです。つまり、他の命の終わりがあってこそ、私たちが生かされている。私たちは毎日、いのちのバトンを受け取っているのです。
受け取ったバトンを握りしめて、どうするかが問われています。繋がれてきたいのちの営みに今一度深い感謝を添えて、3月を迎えたいと思います。
2月のレシピ-1「めかぶと菜の花の和えもの」
今月のレシピも、引き続きめかぶを使いました。味付けめかぶを旬の菜の花と和えるだけで、あっというまに春らしい一品が完成します。
2月のレシピ-2「めかぶ入りうどん」
寒暖の差のある今の時期、体に優しいめかぶ入りうどんは、体をやさしく労ります。めかぶがうどんに絡まって、自然と食物繊維やミネラルも摂れる一品です。
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