海の恵みを食卓へ美味しさづくりに想いを込めて
海の恵みを食卓へ、美味しさづくりに想いを込めて
気仙沼と働く vol.10 どこかで誰かが肩代わりしてくれている
今回のコラムについて、八葉水産のメンバーとも意見を交わすなかで「NIMBY」というフレーズが登場しました。Not in My Backyardの頭文字をとった言葉で、直訳すれば「自分の裏庭にはにはいらない」。何かを拒んでいるようにも捉えられるこの言葉は、資源開発や基地問題などで見かけることがあります。

自分が拒んだところで、誰かが肩代わりしないと世の中が成立しない。ではどのように折り合いをつけるのか。とてもセンシティブなことです。 しかし、実はもっと小さなスケールで身近な誰かが肩代わりしてくれていることがありそうです。
気仙沼と働く vol.10 どこかで誰かが肩代わりしてくれている

ごみすて

私たちは毎日、何らかのごみを出しています。ごみを収集日まで自宅や勤務先などにためておいて、その日が来たら収集車に引き渡す。この行動の中で、ごみを捨てる側の私たちは2つのことを他の誰かにやってもらっています。

1つ目は、ごみを処分場まで運ぶ行為。ごみ収集に携わる人たちが、私たちの代わりに収集してくれているおかげで、私たち暮らしや地域は一定の衛生環境を保つことができています。

少し話がそれますが、私が住んでいる村では、ごみすては1週間に1度です。1週間、自宅でごみを保管して、自分の車に1週間分のごみを積んで捨てに行きます。やっと訪れたごみの日、集積場で引き渡した後は、本当にすっきりした気分に。田舎で暮らして初めて、「ごみを捨てさせてくれてありがとう」という気持ちになりました。頻繁にごみを捨てられる生活をしていた以前では、気づかなかったことです。

さて、収集してくれたごみですが、処分場へと移動し、分別されたり焼却された後、さらに最終的な場所へと移動します。そう、ごみはゼロになるわけではないのです。

2つ目は、最終的なごみを引き取る行為です。引き取り先は、離れたところにある処理場であったり自然であったりします。私が自分の手処分したと思っていたごみは実は、「なるべく小さくして自分の裏庭ではない・見えないところに移動させているだけだ」であり、地球のどこかに負担をかけていることだと気付かされました。
気仙沼と働く vol.10 どこかで誰かが肩代わりしてくれている

健康管理

次に自分の体にフォーカスしてみます。

皆さんは、どのように健康管理をされているでしょうか。
運動をしたり、食事をしたり、ストレスを発散したり…様々な方法で健康を管理されているかと思います。

食事を通じた健康管理に目を向けてみましょう。例えば、食品の鮮度や安全性にこだわったり、栄養のバランスを考えてメニューを整えたり…と、自分なりにルールを設けて、食事での健康管理をしていらっしゃることかと思います。

さて、そんな食事のあとですが、意図してなにか管理をしていますでしょうか。
食べものを摂取するのは自分の意思で行いますが、食べたものを消化・吸収・排泄するのは私たちの体が、その”仕事”を本人の裏側で担ってくれています。

「そうは言っても、自分の一部じゃないか」と思うかもしれませんが、ここは自分が消化器官になったとして、毎日どれだけの仕事をこなしているのか想像してみましょう。今日は楽かなと思えば、急に受け入れがたい仕事の量がドカンと流入してくる。逃げたいけれど、逃げられない、嫌でも働かねばならない…といった過酷な仕事場かもしれません。

仕事を放任せず、過酷な依頼にも真摯に向き合って、あなたの健康のために毎日を費やす。
そう思ったら自分の五臓六腑を蔑ろにすることなんてできません。むしろ、最大の感謝を添えずにはいられませんね。

お陰様

自分ではない他の存在が担ってくれていることは、自分の見えないところでなされていることが多く、想像が行き届かないことの方が多いように思います。

例えば、コロナ禍や天候不良よってスーパーやコンビニの商品棚から消えたものがありました。当たり前に流通していたものが目の前から消えて、一体何が起きたのだろうと思います。「そうか、材料を調達できず、生産ができないのか、さらに流通にも支障をきたしているのか」、と。そうして、たくさんの人の手を介して商品が店頭に並んでいることをやっと知るわけです。

当たり前が当たり前でなくなった時、表で起きていることが崩れた時、陰で起きていることに直面します。失ってでも気づくということは大切な経験ですが、もっと平時からできることはないのでしょうか。ふと思い出されるのは「とにかく感謝してみよう」ということです。周囲の見えない仕事に感謝するそんな姿勢は、日本語の「お陰様」という言葉に表れている気がします。見えない「陰」に丁寧語の「お」や「様」をつけて、他の何かのおかげで今の自分があるのだと表現する、そんな文化が流れている国に私たちは生活しています。

今回は食べ物の話題からそれましたが、私は気仙沼と働くことで「誰かが何かを肩代わりしてくれている」ことを知りました。スーパーから食品が消えた震災当時は、東北の皆さんが担ってくれた仕事を、その存在に気づいてなかった自分に不甲斐なさを感じることもありました。私と同様な思いをされた方は少なくなかったのではないかとも思います。

誰かが自分の肩代わりをしてくれている一方で、自分も誰かの何かを担っている。日々の暮らしにせよ、仕事にせよ、それが何なのかを考えながら、自分以外の存在へ感謝し、行動することで調和が生まれ、美しい環境が持続していくのではないかと思います。
MENU

TOP
海の恵みを食卓へ美味しさづくりに想いを込めて
商品づくり
レシピ
お知らせ
八葉水産について
お問合せ
オンラインストア